2014年06月22日

Look Up

本日、新津美術館にて「チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち」を見てきた。昨年八王子で見た時からこれで3回目になるが、今回はゆっくりとアニメーションを見ることができたので、とても嬉しい。そして、ひとつ気づいたのが、これ。
≪ПОСМОТРИТЕ ВВЕРХ≫(2009). режиссер Светлана Подъячева
"Look Up" Svetlana Podyacheva
http://filmix.net/multfilmy/67965-posmotrite-vverh-2009.html
音楽がいいなあ、と思ったら、なんとアリーナ・ロストツカヤだった。彼女のライブを今年3月にモスクワのクラブ作曲家同盟で見て、けっこう気に入っていたので、アニメーションでまた再会できたみたいで、とても嬉しい。
さて、その3月のモスクワ滞在報告はすでにズミでも行ったのだが、毎日何をしていたのか、忘れないうちにブログに書いておこうと思いつつ、もう3ヶ月がたとうとしている。仕事が忙しすぎて、ブログはおろかFacebookもほとんど見ていない。こんなことではいけない、と反省しつつ、貴重な休日は終わろうとしているのである。
夕日に向かって思い切り「バカヤロー」と言いたいのだが、今日はあまり天気がよくないのだった。
posted by masa at 17:00| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

Video of Masami Suzuki's Performance on the net

This is the List of Video of My Performance on the net

1) 22. 06. 2010 at Club Mascherskaya in Moscow
Roman Stolyar (p), Ed Sarath (F.Hr), Masami Suzuki (cl)
stolyar sarat suzuki 1 1
http://www.youtube.com/watch?v=ETnjTmGqqIU&feature=player_embedded
See.: Роман Столяр, Эд Сарат, Масами Сузуки. Концерт в "Мастерской", Москва 22.06.2010
http://community.livejournal.com/jazz_ru_afisha/263220.html
http://www.lookatme.ru/cities/moscow/events/116387
http://basov-m.livejournal.com/9579.html

2) 12. 03. 2009 at Club IKRA in Moscow
Oleg Sakmarov (as, fl), Sergey Letov (ts), Edyta Fyl (fl), Masami Suzuki (S-no Sax)
Сергей Летов - фри-джаз
http://alt-vision.ru//ap/fullfrm.aspx?id=concert$68
See: 12 марта в Москве, в клубе ИКРА прошел фестиваль, посвященный 50-летию легендарного рок-музыканта Олега Сакмарова
http://www.sakmarov.ru/

3) 13. 05. 2010 at Club Mascherskaya in Moscow
Roman Stolyar (p), Edyta Fyl (fl), Masami Suzuki (cl)
http://thrash-n-roll.livejournal.com/5663.html
See: Масами Судзуки (Япония), Эдита Фил (Польша), Роман Столяр
http://thrash-n-roll.livejournal.com/5440.html

4) 13. 06. 2012 at Sakyu-kan in Niigata
Yoshio Shirakawa (performance), Kenzo Onoda (elec. movie), Kenta Nagai (Syamisen), Masami Suzuki (ss. cl. Shino-bue), Hisako Horikawa (butoh)
Narukami-tsuki no Ao-arashi (Blue Storm on June)
http://www.youtube.com/watch?v=C_9EzCHTmEM
http://www.photo-hatrix.com/photo/120613.html

5) 13. 12. 2009 at Sakyu-kan in Niigata
Sergey Letov (ts. fl), Mikhail Sukhotin (poetry), Hisako Horikawa (butoh), Masami Suzuki (ss. b-cl)
Видео перформанса в Сакью-кан, Ниигата.
http://vimeo.com/36221673
http://www.letov.ru/Mikhail-Sukhotin-video.html

Now we prepare other soundtracks and some materials.
posted by masa at 00:08| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月18日

講演会 ロシア・中東欧ジャズの魅力を語る

お知らせです。お時間がありましたら、おはこびください。

●講演会 ロシア・中東欧ジャズの魅力を語る――フォークロアから現代音楽まで――

日時 2012年6月30日(土) 14時45分より
会場 早稲田大学文学学術院(文学部キャンパス)
36号館6階681教室

●講演者
鈴木正美氏(新潟大学教授)
岡島豊樹氏(季刊『ジャズ批評』元編集長)

http://apop.chicappa.jp/wordpress/?p=1060
posted by masa at 15:27| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

レートフとの映像がアップされた

2008年12月13日に新潟の砂丘館で開催したレートフ、スホーチン、堀川久子そして私の公演をレートフがネット上にアップした。
http://sergey-letov.livejournal.com/128065.html

最近はいろいろ面白い映像がネット上で手軽に見られるようになって、本当に便利になったものだと思う。上記の私たちの映像もたくさんの人に見てもらえると嬉しい。

posted by masa at 18:16| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

トヴェーリのニュース映像

2010年5月14日、トヴェーリでロマン・ストリャ−ルと共演した時にテレビ局の取材を受けたのだけれど、そのニュース映像がネット上にあって驚いた。

http://video.mail.ru/mail/jazzclubdomaj/1/13.html

私のロシア語下手ですね。プレス・インタビューは何度も経験しているけれど、いまだに慣れない。緊張がもろにあらわれています。しかし、ロマンはカッコイイなあ。

そのロマンとFaceBookで再開。便利な世の中になったものだ。
posted by masa at 11:56| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月07日

ライブは続く

今回のモスクワ滞在ではレートフ、スホーチンとの2つのライブをやったのだが、この二人とはこれまでに何度か共演している。

2008年3月15日、ドムでの堀川久子さんとの公演の後、スホーチンに誘われて、ズヴェーレフ現代芸術センターではじめて二人で共演した。スホーチンの詩の朗読の合間にさまざまな音をはさむやり方で、とても楽しかった。詩人や作家、芸術家等々、集まった人々も面白い方ばかり。親密な雰囲気の中でいいパフォーマンスができたので、スホーチンとはまたいつか一緒にやろうと思っていた。

その機会は意外に早く来た。2008年12月、私が代表でやっている研究プロジェクトの一環でレートフとスホーチンを日本に招聘したのだ。新潟大学で非公式芸術をめぐるシンポジウムを開催し、二人に報告してもらった。その翌日、新潟砂丘館でこの二人と堀川久子さん、私の4人で2回公演を行った。管楽器2名、詩人の朗読、舞踏というなかなか珍しい共演で、これは今も記録映像を見る度に自画自賛するほど面白かった。

さらに2009年3月、モスクワを訪れた私を待っていたのはレートフからの思いもかけない提案だった。かつてアクアリウムのメンバーだったオレグ・サクマーロフとの共演である。サクマーロフの50歳の誕生記念コンサートで20分間のフリー・ジャズをやる、ついてはおまえもステージに上がれというのだ。なんだかとんでもないことになったなあと思いつつ、こんな滅多にない機会を逃したらバカだぞ、と二つ返事で引き受けた。

会場のクラブ「イクラ」に行くとものすごい人だかり。いきなりサクマーロフとフルート奏者のエディッタ・フィルに紹介されて恐縮するが、二人ともいたって気さくな人で安心した。簡単なサウンド・チェックを済ませただけで、まったく打ち合わせなしの完全即興でやるというので、もう腹をくくった。

次に別室に連れて行かれると、いきなりサクマーロフの横に座らされ、レートフ他6名と並んでテレビ局の取材を受けた。アルハンゲリスクのジャズ・フェスティバルでも同じようなことがあったが、私はこんな時にものすごく頭が活性化するらしく、質問に対してみんなが喜びそうなことをヘラヘラ喋っているらしい。らしい、と言うのも自分では何を言ったのかさっぱり覚えていなくて、後から「いい意見だった」などとお世辞を言われたりするのだから、きっと完全に別人格になっているのだろう。

ともあれ、ステージが始まれば、後は野となれ山となれである。レートフがソコリスキイの音源をマックを使ってコントロールし、全体の方向性をつくっていたので、完全即興と言っても展開しやすい。サクマーロフもフィルもフルートの腕は抜群にいいので、こちらもいろいろな突っ込みができる。全体を通してとても楽しいステージだった。サクマーロフもとても喜んでいた。20分のうちの中盤、ノリのよかった場面だけをテレビ曲が撮影した映像がネット上で公開されている。

さらにこの数日後、ズヴェーレフ現代芸術センターではレートフたち(トリー・オーとサックス・マフィアのメンバー)と演奏した。憧れのトリー・オーとの共演なので、とても緊張した。この時の写真は私の宝物である。

そして今回のライブである。モスクワでのライブが増え、知り合いも増え、新潟でもやるべきことや知り合いが増え、もう東京経由で物事を考える必要がなくなってきている。煩わしい人間関係なしに直接ロシアに触れていられるようになって、実に喜ばしいことだ。

さて、次は5−6月にモスクワに長期滞在する予定である。いったいどんなライブがあるのか、どんな人に巡り会えるのか、とても楽しみだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

シンポジウム「1970-80年代の非公式芸術――旧ソ連圏の知られざるアンダーグラウンド文化」
http://www.human.niigata-u.ac.jp/seminar/2008/12/197080.html

Олег Сакмаров отпраздновал 50-летие песнями Аквариума и Наутилуса Помпилиуса
http://www.newsmusic.ru/news_3_14791.htm

Сергей Летов - фри-джаз
http://alt-vision.ru//ap/fullfrm.aspx?id=concert$68

Зверевский центр
http://www.zverevcenter.ru/inc.php?inc=63
posted by masa at 19:01| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

イトーヨーカ堂

3月30日、今朝もしっかりと野菜を食べ、水分をとる。テロ事件直後の混乱を考え、この日はあまり遠出はしないことにする。とにかく日本に帰るために確実に空港に行くことを考える。

最後に買い込んだ本と昨晩もらった本が大量にある。両手にカバンをさげて、ヒイヒイ言いながら郵便局に運ぶ。郵送料は全部で8,000円ほど。日本ではほとんど入手できない資料とはいえ、やはり出費は大きい。キリル・モシュコウが探し出してくれたフェイエルタークの『ロシア・ジャズ百科事典』他数冊は手荷物にした。

今回はO氏と一緒だったので、いつもより多くのCDを入手している。DVDとあわせて50枚以上あった。O氏はこの倍ぐらい入手していたはずだ。いったいどうやって持ち帰るのだろう。50数枚のブツを3つの山に分け、セーターや衣類にくるみ、バックに無理やり詰め込んだ。たぶん数ケースにヒビが入るだろうが、いつものことだ。お皿が無事ならそれでいい。

昼食は私たちが勝手に「イトーヨーカ堂」と呼んでいたショピング・センターの最上階にあるフードコートですませた。5つほどのファーストフード・コーナーがあり、いたって簡便である。ボルシチを食べたが、明らかに市販のスープの素を使っている。自分でつくった方が美味いぞなどと思いつつ、しかし、こんなにお手軽に、確実に昼食にありつけるのだから、ロシアもお気楽になったなあ、と感慨深い。

最後のおみやげにとCDショップに入る。ここは海賊盤だらけの店である。古いエストラーダのアンソロジー、イワン雷帝ものの映画4本を収めたDVDなど1枚100ルーブル!というとんでもない代物をせっせと物色する。こんなことしていていいのだろうか。著作権はどうなるんだ!と言いながら、嬉しくてついつい買ってしまう私たちも私たちである。

送迎タクシーを待つ間、ホテルのロビーでiPod touch を起動するとネットにつながった。こんなことなら、もっと早くチェックすればよかった。なにしろ部屋で無線LANを使うときは有料だったので、節約のためネットはあきらめていたのだ。今度から気をつけよう。

約束の時間に遅れてタクシーが到着。あいかわらずひどい渋滞にやきもきしながら、ようやくシェレメチェボ空港に着くが、予定のターミナルと違う。旅行代理店が「現地の代理店にはちゃんと伝えてあります」と言っていたくせに、やはりこれである。運転手にターミナル変更を伝えるとすぐさま予定のターミナルへ。できたてのターミナルの入り口に人だかり。案の定、入場の荷物検査、ボディチェックで詰まっている。しかもこれだけ大勢の人がいるのに、検査ゲートが一つしかない。ターミナルが新しくなってもこれかよ。本当に駄目な空港だねぇ、と毒づきながら、しばし並び、ようやく中に入った。アエロフロートのチェックインはすでに始っているとボードに表示されているのに、指定のカウンターにまったく人がいない。順繰りに別のカウンターを探したら、まったく違う番号のカウンターでチェックインをしていた。こちらはイライラしているので、担当の女性がビジネスクラスがどうのこうの言うので、わしらエコノミーですよー、あーもうどうでもいいけんね、はやくやってちょーだいねー、となげやりな態度のうちに気にしていた荷物重量オーバーのもろくにチェックされずにチェックイン終了。再びシュールなまでの荷物検査、ボディチェック、パスポートコントロールが終れば、後は飛行機に乗るだけである。航空券にゲート番号が書かれていなかろうが、売店のビールが法外に高かろうが、もうどうでもよくなっている。

そしてようやく飛行機に乗り込むと、座席がなんとビジネスクラス。ここで割り増し料金でも取る気か!とフライト・アテンダントに抗議すると、どうやら周りにも同じような人々が…。団体でエコノミークラスが満席のため、我われ個人旅行者の数名がビジネスクラスの席を割り当てられたということらしい。

ビジネスクラスは単に席だけでなく、食事もお酒もしっかりビジネスクラスで吃驚仰天。フルコースを食べ、普段は絶対に飲まないような高級ワインを何杯も飲み、足をのびのび伸ばして眠りについた。こんなことでいいのかな。今までの慎ましい(私的にはものすごく贅沢な)日々はいったい何だったのだろう。薄れゆく意識の中、これから待っている山積みの仕事への不安を抱きつつ、今回も疾風怒涛のモスクワ旅行は終ろうとしていた。
posted by masa at 22:34| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月05日

サインホと詩人たち

3月29日、メール着信音で目が覚める。モスクワで爆破テロ事件とのこと、あなたは大丈夫ですか? すぐにテレビのスイッチを入れる。悲惨な事故現場が映し出される。数年前、ノルド・オストのテロ事件の直後にモスクワに滞在したときのことをぼんやり思い出す。あの時は地下鉄駅を出たところで突然6名の警官に囲まれ、そのまま職務質問を受け、その後人気のないところに連れて行かれたことがある。このままどこかにぶち込まれるのかと思ったが、結局何事もなかった。今回も同じようなことになるのだろうか。

1999年7月の全日空ハイジャック事件を体験して以来、死ぬこと自体にはそれほど恐怖は感じない。いつ死んだっていいとずっと思っている。いつ死んでもいいように毎日を生きていこうと決めてしまってから、大概のことは我慢できるようになってしまった。今回もサインホとの約束を果たすべく、どう行動するか考えればいいだけだ。幸い目的地へは市内中心部を通過せずに行くことができる。とにかく出発することにしよう。

地下鉄駅は警官だらけで緊張感にあふれているが、地下鉄はいつも通りに運行していて、初めていくトゥルブナヤにもすんなりと着いた。通りを行く人々は日常通りだ。本当に事件はあったのだろうかとさえ思ってしまう。10分ほど歩いてエレーナ・ブルブリョーフスカヤ・ギャラリーにたどり着いた。ここはチベット・センターも兼ねている。ギャラリーの前に人影。サインホだ。おはよう。どうしたの? 事件のせいで大渋滞していて、エレーナの車はまだ着かないわ。あと1時間はかかるというから、近くのカフェでお茶でも飲みましょう。

これはむしろ有難いことだった。結局サインホとは2時間近くをカフェで過ごし、その間に彼女からたくさんの話をきくことができたのだから。音楽だけではなく、絵画や詩の創造について、故ニコライの残してくれたものについて、心温まる精神的な内容だった。

ようやくギャラリーに戻るとオーナーのエレーナ・ブルブリョーフスカヤが待っていた。真っ赤な髪の毛でまるで人形のよう。さあ、どうぞ。サインホの世界へ。落ち着いた空間に40数点の絵画作品。そのどれもが茶色をしている。そしてどれも微妙に色感が異なっている。サインホが1点1点作品の解説をしてくれる。作者自身からこんなに丁寧な解説をきけるとは実に贅沢だ。これはインスタント・コーヒーで描いたのよ。え?インスタント・コーヒー? こっちはウーロン茶。これはケチャップで描いた。ケチャップはすぐに色が変化するけど、インスタント・コーヒーは色の定着がいいの。作品のすべてが生活の中の飲食物を材料につくられている。そのどれもインスピレーションに満ちている。シャーマンの太鼓もあり、その太鼓の表面にも絵が描かれている。オープニングの時には歌いながらライブ・ペインティングもやったという。その作品も見ながら、サインホのヴォイス・パフォーマンスと絵を描くボディ・パフォーマンスが、そして彼女の詩がすべてひとつに重なっていることを理解する。

偶然の導きで、とてもいい個展を見られたことに感謝しつつ、サインホに別れを告げた。もちろん彼女の本とCDがカバンの中に収められている。撤収した後で私の作品をひとつプレゼントするわ、あとでまた会いましょう。ええ、きっと。

ひとまずホテルに帰り、2時間ほど休む。これからが本番だ。スホーチンの詩のテクストを何度も読んで、パフォーマンスの構成を考えつつ、楽器の準備をする。指定されたステージの時間は15分。どうやったら面白くなるか?

待ち合わせ場所のノヴォスロボツカヤ駅には20分も早く着いてしまった。外はまだ寒いので駅のプラットフォームで時間をつぶしていると遠くから警官が不審げな眼差しを向けてくる。スホーチンは時間通りに、アンジェラは5分遅れてやってきた。スホーチンとは軽い打ち合わせだけですぐに本番にのぞむことになった。駅前すぐにあるインターネット・カフェ「カフェ・マックス」の奥にパフォーマンスのための空間はあった。すでに詩の朗読は始っていて、かなり盛り上がっている。司会者でオーガナーザーの女性はモスクワ大学の数学の先生らしい。髭もじゃの老人がいきなり本をくれた。後できいたらウラジーミル・クリモフだった。レートフとは旧友だという。

ついに出番だ。スホーチンの短いユーモア詩の連続には篠笛で軽いリズムをつける。間を空けて少し長めの詩にはクラリネット、さらにソロ、そして最後には一緒に声を重ねる。上々の出来だったと思う。やっぱり朗読とのコラボレーションは楽しい! やれやれ終ったと思ったら、もっとたくさん演奏しろというリクエスト。はいはい、やりますよ。もうやけくそで演りました。1曲全速力でやって、拍手をもらって、力を使い果たし、もうおしまいと思ったら、まだリクエストがあった。いい加減くたくたなので、篠笛でいい加減に短い曲を吹いてしまうことになってしまい、後から反省しきり。

恥をかくのはいつものこと。とにかく自分の出番が終ってしまえば、あとはお楽しみである。次から次へと登場する若い詩人たちの朗読パフォーマンスを堪能する。いろいろなアイディア、演出、手法があって、どれも楽しめた。真面目に哲学的、形而上学的な詩を朗々と読み上げるなんてことはない、これはエンターテイメントだ。プリゴフの血がちゃんとこんなところにも流れていることに嬉しくなってしまう。

スホーチンから紹介された詩誌の編集者からは貴重なバックナンバーを頂戴し、フセヴォロド・ネクラーソフ追悼号への翻訳を依頼される。もちろん快くお引き受けする。何人もの文芸関係者と知り合い、例によってたくさんの本を頂戴し、こちらからはすでに差し上げるものは何もなく、それでも「いい演奏だった」と次から次へと言葉をかけてもらえて、有頂天になりながら、タバコの煙に耐え切れずに会場をあとにした。

スホーチンやアンジェラからのたくさんの心遣いをもらい、再会を約束して、地下鉄へと向かう。きっと、また一緒に演ろう! ああ、もちろん。それまで、生きているさ。

----------------------------------

Галерея Елены Врублевской
http://www.vgallery.ru/

Сайнхо Намчылак «Звуки Верхнего Мира»
http://www.vgallery.ru/ru/archives/archive62/archives62.html

posted by masa at 23:14| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

墓参りと巡礼歌

3月28日、さすがに疲労を感じるが、今日がいちばん大事な日なので、しっかりと朝食をとる。

主目的であるノヴォデビッチへ行く前に、イズマイロヴォのヴェルニサーシへ行くことにした。今日は日曜日だ。ヴェルニサーシュにはたくさんの店が出る。ひょっとして例のものが売られているかもしれないと思ったからだ。例のものとは「肋骨レコード」。1950年代に地下で流通した自主制作レコードで、レントゲン写真を丸くカットしたものにレコードの溝を刻んだものである。そこにはまさしく肋骨や頭蓋骨が写されていた。みやげものが大量に売られている入り口付近をひやかしながら、奥に進むとフリーマケットのようにさまざまなものが売られている。軍隊の流出品や中古カメラ、骨董品など、マニアならたまらないものが山のようにある。古いクラリネットとサックスがあったので、少し躊躇したが使えそうもない代物なので、買うのはあきらめた。結局、肋骨レコードは見つからなかったが、いつか現物にお目にかかれることは確信しているので、あまり気にはしない。ソ連時代にどこでも見ることのできた丈夫なコップも売られていた。思い出深い品なので、これは今度入手することにしよう。

キエフスカヤ駅を出たところで、リューダが車で迎えに来てくれていた。そしてノヴォデビッチへ向かう。リューダがずっと咳をしている。もう一ヶ月も続いているらしい。去年の同じころ会ったときも同じような状態だった。風邪にしては長すぎる。あまり無理しないで、ちゃんと休んでほしいな。しかし、墓参りをしたいと言ったのは私です。ごめんなさい。

故ニコライ・ドミートリエフの墓は少しだけ雪に埋もれていたが、いつものように端正なたたずまいである。あの笑顔を静かな墓地の空間にふりまいている。2005年9月に彼を追悼してドムで30分のソロ演奏をしたことがあるが、また彼のために何かしたい気持ちがふつふつと沸いてくる。いったい自分に何が出来るのだろう、といつも自分に問いかけながら、今日まで生きてきた気がする。これからもそうしながら、何かばかなことをし続けるのだろう。どうやっても自分は彼の代わりにはなれないが、自分は彼が撒いた種の一つなのだと思っている。

いったんリューダとは別れて、ホテルに引き返し、一休みした後、再びドムへと向かう。少し早くノヴォクズネツカヤに到着したので、自然素材が売り文句のカフェで簡単な食事をすませる。野菜スープがとても美味しかった。

開場にはまだ時間があるので、ドムの2階にある人形のギャラリーを覗く。以前は入場無料だったのに、今回は100ルーブルの入場料。やはり経営が苦しいのかとも思うが、これなら良心的な方だ。実際、内容はすばらしく、素敵な人形がたくさん展示されていた。いわゆるドール・アートで、すべて作家の一点ものだから、きわめて芸術性が高い。東京でもGWに世界創作人形展が開催されるが、ここで見た人形作家の数名がそこに出品するはずだ。探していた雑誌「人形の世界」があったので、さっそく購入した。いつかバックナンバーも入手しなければ。

本日のドムはアンドレイ・コトフのソロである。ロシア版のハーディガーディを弾きながら歌う。しかも霊的な歌、魂の歌と言えばいいのか、いや、巡礼歌や御詠歌と言った方がいいのだろう。「罪深き我を妻は許してくれる。しかし、その妻もまた罪深き人間」「おまえは何を捜し求める。魂はどこへ行く」といったようなフレーズがいくつも繰り返される。私のように信仰のない人間でも、コトフの素朴なしみじみと響く声にどこまでも続く空と草原を渡っていく巡礼者たちの魂に思いをはせて、いつか涙を流している。アンコール曲では観客全員が合唱し、本当に安らかな気持ちで幕となった。

ステージの後、リューダがニコニコしながら一人の女性を伴ってきた。ああ、なんと懐かしい顔! サインホだ。「何年ぶり? 元気だった? どうしてモスクワへ?」「いま自分の個展を開催中なの。今日で会期は終わりだけど、明日撤収があるから、その前に見に来る?」「もちろん、絶対に行きますよ!」 なんという幸運。そこへコトフもやって来て、皆で記念撮影。サインホとコトフからは新譜CDまで頂戴する。(どちらも後で聴いてみたが、実にすばらしい内容だった。) リューダがホテル近くまで送ってくれると言ってくれたのだけれど、彼女の家とは反対方向なので、丁重に辞退。「それより早く帰って、よく休んでよね。」

コトフの歌と旧友との再会で幸福感に満たされながら、岐路につく。ニックの魂が導いてくれているのだと、ふとそんな思いがよぎる。

--------------------------------------

2009年9月24日、ドムでのニコライ・ドミートリエフ追悼のためのソロ演奏。第2部はボリーソフの演奏で、これはすごかった。この時の記録は残っていないが、使用した映像をもとに後にDVDを制作し、関係者に配布した。
http://www.dom.com.ru/event/2005/09/24/

ПЕСНИ СТРАННИКОВ  Андрей КОТОВ
http://www.dom.com.ru/event/2010/03/28/


posted by masa at 16:13| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

クラブ作曲家同盟

3月27日、意識的にしっかりと野菜を食べ、水をたっぷり飲み、準備万端でトレチャコフ美術館新館へ向かう。今日も長丁場だ。

トレチャコフはいつも通り常設展がどう変化しているのかを確認に行くことと特別展で何が起っているのかを確認することに主目的はある。今回も期待は裏切られなかった。まず、デイネカ展である。社会主義リアリズムの絵画を考える上で、まず第一に取り上げられるこの作家の、現代のキュレーターの取り扱い方が展示からどう読み取れるのか? これは見る側の見識と態度が試されている。観客も真剣に、かつ大いに楽しまなければ。従来の「幸福へのアジテーション」とか「ソビエト的身体」といった視点から見ることもできるこの展覧会だが、企画者の意図はそれだけに留まらないことが展示の方向性からすぐに理解できる。作品に対してとても素直な、ナイーブな接し方を感じる。ソビエト的仰々しさをおさえて、絵画そのものの力が自然に感じられるように展示されている。実際に今回もっとも驚いたのは、描かれているテーマやモチーフではなく、構図の大胆さだった。快い見え方をまったく無視した大胆な構図は、まさしくマニエリスム。若冲を思わせる意匠。いわゆるスターリン様式とかスターリン・ゴシックとか言われるものとは根本的に違うものなのだ。

デイネカ展と同時に開催されていたシェフチェンコ展にも驚いた。デイネカ的マニエリスムの対極というか同時代的双生児の反抗というか、静かなファンタジー、日常の中のささやかな夢想の世界が描かれている。この作家については、私なりにもうしばらく検証した上で言語化しなければならない。いまここではまだ書けない。

常設展の最後のコーナーでインファンテの特別展示があったのも嬉しかった。私の大好きな作家だ。第一回の越後妻有トリエンナーレ(2000)でイリヤ・カバコフと同じときに作品が展示されたにもかかわらず、なぜかカバコフ作品ばかりが有名になり、インファンテの作品はそれほど評価されていないのが、悔しくてたまらない。カバコフ作品は松代の農舞台のすぐ近くにあり、インファンテ作品は松代からさらに車で15分ほどのところにある芝峠温泉にある。私はこの温泉から眺める風景が大好きで、インファンテ作品を見に行くことと同時に楽しみしている。

これまでにもトレチャコフ新館ではエリク・ブラートフ展やロシアのポップ・アート展が開催されているにもかかわらず、それらが日本ではほとんど何も報道されず、評価もされないままだ。そしてカバコフばかりが現代ロシア美術の代表者として一人歩きしているというのは異常としか言いようがない。日本におけるロシア文化の受容のバランスの欠け方には落胆するばかりだ。もっともそんな状況を突き崩せないでいる私にも問題はあるのだけれど。

現代ロシア美術をめぐる日本のクソッタレな状況に思いをはせながら、トゥヴョールスカヤに向かう。かつてのインツーリスト・ホテル跡に建てられた立派な建物に唾を吐きたいような気持ちを抑えながら通り過ぎ、ブリューソフ横丁を曲がる。そこに作曲家同盟の建物がある。1992年に友人のジャンナと会った場所だ。彼女は作曲家同盟ポピュラー音楽部門の部長だった・1991年のグループ・アルハンゲリク日本ツアーの時に同行して、私も長旅の半分を共に過ごした。その彼女ももうこの世にはいない。彼女が生きていたら、日本とロシアの音楽交流もどんなに違ったものになっていただろう。いや、しかし、受け継ぐべきものは受け継がれていた。

作曲家同盟の建物のすぐ近くに「クラブ作曲家同盟」はある。中はいかにもクラブらしいクラブ。だが、「イーゴリ・ブートマン・クラブ」他いくつかの有名でおしゃれな高級クラブと違って、料金は低価格。しかもとびきりいきのいいプログラムが毎日用意されている。そして、今日は「Jazz.ru」の編集長キリル・モシュコウが企画したライブだ。「ニュー・サウンド。クルーグルィ・バンド結成10周年」

キリル・モシュコウは『アメリカにおけるジャズ産業』他、ジャズ関係の著作、論文が多数あり、「Jazz.ru」の編集長として世界中を飛び回っている。現代ロシアのジャズ・ジャーナリズムの第一人者と言っていいだろう。「Jazz.ru」ではオールド・ファンから若者にまで目配りのきいた、独特の編集スタイルを貫いている。そのモシュコウが企画したのが今回のプログラムなのだから、彼から「ライブを聞きにおいで」というメールをもらって、断る訳がない。

アレクセイ・クルグロフは若手のサックス奏者としてはナンバーワンと言ってもいい。サックス4本を同時に吹くなどという軽業もやり、演奏のテクニックは抜群だ。その彼がこの日に挑んだのが、「オーネットコールマニアーダ」だ。オーネット・コールマンの曲を基礎にクルグロフ自身がつくった詩を重ね、コールマンを換骨奪胎したパフォーマンスを繰り広げた。ポスト・アヴァンギャルド的要素をいとも軽やかに破壊し、すぐさま新しい構成に変えていまう、その力には圧倒された。今後ますます期待される音楽家だ。

モシュコウ氏からは現代のジャズ・シーンにおける若いミュージシャンについて長いインタビューをしたが、これはまたいつかどこかで活字にすることだろう。彼からは「Jazz.ru」のバックナンバーやフェイエルタークの最新刊『ロシア・ジャズ百科』など、いくつもの貴重な資料を頂戴した。会うたびにいつもたくさんの資料を惜しげもなく頂戴するので、有難いことこの上ない。

クルグノフのライブの後は、クラブのすぐ近くにあるCDショップに行った。おそらくモスクワでいちばん品揃えのいいショップで、ここでまた大量にCDを買い込んだのであった。その内訳について、またいつか詳しく書くだろう。それはまた違うお話、あるいは違う文章になるはずだ。

--------------------------------------

«Джаз.Ру» 「Jazz.ru」
http://www.jazz.ru/
http://www.jazz.ru/eng/
posted by masa at 23:58| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

ヴィンザボートからドムへ

3月26日、時差ボケも感じず朝からしっかりと野菜を食べ、水をたっぷり飲んで、さっそくヴィンザボートへと向かう。他にも行くべきギャラリーはたくさんあるのだが、今回はそれほど時間に余裕があるわけではない。そんなときのヴィンザボートだ。

まずはまっすぐにゲルマン・ギャラリーに入る。ヤキマンカのゲルマン・ギャラリーに初めて訪れたのが1994年のことで、あの時にマラート・ゲルマンにも会えて、話をしたことがあるのだが、どんな話をしたのかすっかり忘れてしまった。それよりもゲルマン・ギャラリーで開催された様々な展覧会のカタログを大量にもらい、ギャラリーに偶然いた「フドージェストベンヌィ・ジュルナール(モスクワ・アート・マガジン)」の編集長からバック・ナンバーを創刊号からすべて入手して、ものすごく嬉しかったことは今でもよく覚えている。それ以来、ゲルマン・ギャラリーにはモスクワに行くたびに必ず訪れている。

今回のゲルマン・ギャラリ−でのアレクセイ・カルリンマの個展はなかなか侮れない内容だった。戦争以前のチェチェンを背景に女性のパラシュート訓練を描いている。一見すると社会主義リアリズム絵画のパロディのようでもあるが、といってソッツアートとはまったく違う。むしろデイネカへのオマージュのようでさえある。しかし、手法的には3Dの写真をもとに淡いタッチで描いており、デイネカ流のロマンティシズムとは無縁な、乾いたイメージだ。女性の表現方法から見て、フェミニスム・アート的要素を狙っているようでもある。いかようにも解釈可能な、かなり計算された作品群だ。

少しだまされたような気持ちのまま写真関係のギャラリーをいくつか見ていくと、やはりどこか政治的意図を匂わせるような作品が多いことに気づく。作品そのものの持つ力に常に期待している私としては、なんだか面倒くさい気分になってしまう。そうして次にのぞいたREGINAギャラリーでやっといい作品に出会えた。大きなピンク色のカンバスに亡霊のような影が見え隠れするだけの作品である。そうしたカンバスが広い空間にいくつか展示されている。空間全体がいいしれぬ茫漠とした力にあふれている。

もうひとつ良かったのがプロウン・ギャラリーの「未来計画」展。このギャラリーの企画は毎回地味だが、まったくはずれがなく、キュレーターのすばらしい力量を感じる。1920年代以降の生活環境に関わるさまざまなプランの設計図が真摯に時代と作家の思想を語っている。静かな、しかし力強い思惟。幾何学的な設計図がこれほどまでに雄弁だとは驚くばかりだ。

前回来たときは満席で入れなかったカフェでチキン・ヌードル(チキン・ラーメンではなかった)などを食し、ネット・ショップでは入手できない本を書店で大量に買い、その足でチーストゥイ・プルドゥイに向かった。いつものように買い込んだ本は郵便局からすぐに日本に送っていまう。本を持ち歩いたまま行動すると腰痛が悪化するからだ。無事に郵送した後は、プロジェクト・オギへ。いつもならオギでCDと本を大量に仕入れるのだが、今回は折悪しく店が休みだった。すでに時間もないので、すぐさまブルガーコフ博物館へと向かった。

ブルガーコフが住んでいた家に来たのは初めてである。今回やってきたのは、ここで1920-40年代のジャズを演奏するコンサートがあるという情報があったからだ。実際、マリーナ・マカーロヴァのトリオによる演奏は、昔流行したジャズの名曲を当時の響きに似せて表現するものだったが、古いままではなく独特の現代的なアレンジだった。Tea for Two などはかなり傑作だった。この企画は月1回やっているというので、次回もまた来ることになるだろう。

いったんホテルに戻って荷物を整理し、すぐさまドムへと向かう。今日はよく歩く日だ。「Hope and Destruction.」 Eyal Maoz カルテットのライブである。ユダヤ音楽の旋律をたっぷり使ったアメリカ人のギターとキーボードの演奏をロシア人のドラムとベースがバックで支える。ギターのテクニックは抜群。ユダヤ的匂いを熱狂的に放ち、観客を沸かす。しかし、数曲聴いたらなんだか全部分かってしまったような気がして、集中力もなくなり、途中からビールを飲んでしまった。やはり疲れている。連れのO氏も同じだったのか、演奏を聴きながらCD漁りをしていたので、私もCDの物色をする。1年もドムに来ないうちに、こんなにも面白そうな新譜が出ていたのかと驚く。街中のCDショップにはろくなCDがないが、ドムでは必ずいいものに出会える。今回もO氏と大量にCDを買い込んだ。

ドムの入り口で切符のもぎりをしているおじさんとはすっかり顔なじみで、いつ来ても顔パスで入場させてくれる。今回もニコニコしながら入れてくれたので、実に嬉しい。ドムでは私自身これまでに3回演奏しているので、スタッフ同然ということなのだけれど、いつもながら有難いことである。これもドムの創設者だった故ニコライ・ドミートリエフのおかげである。彼の思い出に浸りながら、CDのいっぱいつまったバックをかかえて深夜のホテルへと帰った。

------------------
ВИНЗАВОД
http://www.winzavod.ru/

Музей Булгакова
http://www.bulgakovmuseum.ru/

Hope and Destruction
http://www.dom.com.ru/event/2010/03/26/

Клуб-центр "Дом"
http://www.dom.com.ru/

2008年3月15日、堀川久子&鈴木正美のドムでの公演
Фестиваль ДЛИННЫЕ РУКИ-ДВИЖЕНИЕ-3
http://www.dom.com.ru/event/2008/03/15/
http://longarms.ru/festival/longarms-movement-3/
http://community.livejournal.com/avangarde/tag/%D0%B1%D1%83%D1%82%D0%BE
posted by masa at 21:07| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

クラブ・マスチェルスカーヤ

1年ぶりのモスクワ。覚悟していたパスポート・コントロールの悪夢のような混雑がまるでなく、あまりにもすんなりと入国できたので拍子抜けしたものの、モスクワ中心部へと向かう道路は予想通りの渋滞で、かえって安心感を覚えるから不思議だ。渋滞の車群の中を水牛のように迷走するタクシーは、日本での不条理な毎日からモスクワの混沌へと移行するための棺なのだと思う。

3月25日7時30分、到着したばかりのホテルに荷物を置くなり、すぐに地下鉄に飛び乗る。目的のルビャンカ駅を降りて、行きかう人に道を尋ねながらクラブ・マスチェルスカーヤへと向かう。すでにライブは始っている時間だ。
「日本からたったいま来た。鈴木です。」
クラブの入り口にいた女性にそう言うと、待っていたわよというようにすぐにクラブの奥へと通された。懐かしい音が聞こえてくる。自分を待っている音。レートフのサックスの音。

小さな劇場のようなスペース、一段高いステージの上でレートフがソプラノ・サックス、若いベロルコフがアルト・サックスを吹いている。完全な即興演奏だ。二人の対話を重厚に支えるプロスクリンのベース。とてもいい演奏だ。こちらも大急ぎで楽器の準備をする。武者震い。リードを湿らせる時間がもどかしい。

やがてスホーチンがごく短い詩を読むとステージからレートフが目配せする。さあ、ここに上がって来い、と。ソプラニーノ・サックスとクラリネットを持ってステージに上がる。
まったく打ち合わせなしの完全即興だ。しかし、ひるむことはない。先ほど少し聞いただけでレートフの他の二人がものすごいテクニックの持ち主で、しかも心優しい連中だということはすぐに感じた。彼らの音に、こちらも音で応えるだけだ。

「俺が、俺が」と自己主張する演奏ではない。全員での対話。アドレナリンが大量に放出されているのが分かる。ものすごく頭を使う。しかし、ものすごく気持ちがいい。自分も含めて全員の音がとてもよく聴こえる。経験上、こんな時は必ずいい演奏しているということが分かるので、とても嬉しい。

短い演奏が終り、観客の快い拍手と、そして「もう1曲」のリクエスト。時間に間に合わなくて、演奏できないことを覚悟していたので、思わぬ贈り物をもらったようだ。次の曲も楽しませていただいた。

ステージの後、オーガナイザーのオリガが「モスクワ滞在中にソロでまた演奏して欲しい。なんとか都合をつけられない?」と言ってくれる。しかし、すでにもう毎晩の予定はつまっている。次の機会には必ずと約束して、レートフ、スホーチン、ベロルコフ、その他大勢で別の居酒屋と向かった。

うってかわってクズネツキイ・モストの秘密の居酒屋はタバコの煙が充満していて、いやもうつらいことこの上ない。ビールを一杯飲んで、「ごめん、今日はさすがに長旅で疲れたので帰るね」と先に失礼することに。するとレートフが「29日に詩人たちの朗読会がある。僕は行けないけど、おまえが代わりに行って、スホーチンとライブをやってくれ。」
はいはい、こうなったら何でもやりますよ、と喜んで引き受ける。

モスクワ初日の夜に音楽関係者5名、詩人2名と会い、演奏を共にし、お酒を飲み、ひたすら会話をする。こうして自分の身体がどんどんモスクワの空気になじんでいくことを実感する。そして、たくさんの本や雑誌、CDなどの資料をもらい、ほくほくしながらホテルへと帰るのだった。この4日後、クラブのすぐ近くで悲惨なテロ事件がおこるとはまるで知りもせずに。

----------------
Masami Suzuki & Летов & Белоруков & Проскурин
http://www.lookatme.ru/cities/moscow/events/99287
http://yollo.livejournal.com/270475.html




posted by masa at 19:04| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

展覧会のはしご

亜熱帯の東京には恐ろしくてあまり行きたくはないのだけれど、これは見ておかなければという展覧会が同時に3つも開催されていたので、重い腰を上げることにした。

まずは、国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」。
本物のトレチャコフの常設展に比べたら微々たる量の展示だが、目下自分にとって最も関心のある「風景」がいくつかあり、たいへん参考になった。今後の研究の方向性も少し見えてきたので、有り難い展覧会だった。

次に、「革命とファッションーー亡命ロシア、美の血脈」。
アレクサンドル・ヴァシーリエフの『流転の美』(1998)は、出版された当時15,000円近い値段で、買うかどうかさんざん迷った挙げ句、貴重な図版の数々があまりにも美しくて手放せなくなり、とうとう本棚の一画を占めることになったので、思い入れのある本だ。そのヴァシーリエフのコレクションの現物を見ることができるすばらしい展覧会だった。亡命ロシア人のブティックと亡命先の顧客との関係には、さまざまな想像をかきたてられた。これもまた今後の自分の研究にひとつの方向性を与えてくれた。

そして、「エカテリーナ2世の四大ディナーセット」。
かつてペテルブルグの美術について考察した際、エカテリーナ2世の美術コレクションについて触れたことがある。(「ペテルブルグの芸術──美術都市と反コンセプチュアリズム」) 今回の展覧会で再認識したのは、陶磁器の所有が啓蒙主義と結びついていたことだった。ウェッジウッドの購入がイギリスへの近代工業への憧れとも関係していたのだから、これは後のダーウインの登場とロシアにおける進化論にもつながっていった可能性もありえる。食器に描かれている風景もまたイギリスであり、その風景がロシア人の視覚表象に与えた影響も見逃せない。

3つともたいへん興味深い、刺激的な展覧会だった。昔ならどれを見てもつまらなかっただろう展覧会をこうしていくらでも楽しめるようになっているのだから、長生きはするもんだな、とつくづく思った次第である。


posted by masa at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

腱鞘炎

右肘に痛みを感じ始め、それがやがて激痛に変わったのが昨年8月のことだった。右肘を庇いながら仕事をしていると、痛みはやがて左肘にまで広がった。テニス肘、ゴルフ肘などとも呼ばれるこの腱鞘炎の原因ははっきりしていた。昨年春から毎日のように原稿を書き、書類を書き、キーボードを打ち続けていたせいだ。要するに働きすぎである。

まるで時間的ゆとりのない日々、とぎれることない仕事、それは自ら望んだことが原因の一つであり、まったく望みもしないこともまた原因の一つだった。複合的な理由により、ブログを書くどころではなかったのだが、この間、「書く」という行為そのものについてずっと考え続けていた。

最近になってようやく肘の痛みも落ち着いてきた。年末年始にかけて、10日間ほどキーボードに触れることもなく、年賀状を書く以外にはペンを握ることさえしなかったからだ。その後も、できるだけ「書く」ことをしないようにしたかったのだが、仕事が始まってしまえば元の木阿弥で、肘の痛みはかなり軽減したものの今度は左肩に激痛が走り、毎日湿布が欠かせない。

「書く」という行為や身体性について考えるようになったことで、ようやくヴィジュアル・ポエトリーに対する視座が開けてきたような気がする。このことについては、別のところであらためて書き始めたところだ。4月には活字になるだろう。

同時にパソコンのない暮らしを模索し始めた。パソコンやネットから離れた世界で、「書く」ことの意味を問うとは、一体どういうことなのだろう。

まだ肘は痛んでいる。
posted by masa at 20:10| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月10日

見ならわなければ

久しぶりにすばらしい本に出会った。レズリー・ダウナーの評伝『マダム貞奴 世界に舞った芸者』(木村英明訳、集英社、2007)は、川上貞奴の世界を股にかけた足跡を詳細にたどり、彼女の活動の意義を丁寧に検証した作品だ。

とにかくよく調べている。偏見もなく、ただひたすら敬意をもって貞奴のことをあくまでも実証的に描いている。研究者の端くれとして、こんな仕事を一生に一度ぐらいはしなければとあためて痛感する。

翻訳がまた実にいい。やっつけ仕事のようなぞんざいな翻訳を見ると腹が立つが、この本はその対極にある。手間暇惜しまず、引用文献のすべてを書誌学的に実見で確認しており、著者の研究を根底から再検証していることが分かる。翻訳した方に敬意を表したい。私もこんな仕事ををしなければ、とまたあらためて痛感する。

これからさらに熟読をしたい本である。「研究」をしている方々、少しはこの本を見ならいましょう。
posted by masa at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

反省会

先日「二宮家の季節」の反省会に出席した。反省会という名の飲み会だろうと気楽に考えていたのだが、少し遅れて会場に着いてみれば、本当に反省会だった。

最初は公演の様子を記録した写真のスライドショー。プロの方が撮影した記録なので、さすがに見ごたえがある。これで写真展を開催してほしいほどだ。やがて反省会が始まったのだが、私が一番にあたってしまった。ヒエー、何も考えていないぞ。オタオタしながら、何か話していたようだが、もう何も覚えていない。汗顔のいたりである。それにしてもスタッフの皆さんは丁寧に自分の反省点を振り返っておられた。それぞれの意見がまた次の企画に確実に活かされていくだろうことを強く感じた。

とにかく大規模な公演だったことは、スタッフの人数とその多様な顔ぶれ、そして各人の意見からあらためて実感した。これだけたくさんの人々が力を出し合った結果、予想を超える入場者数となり、大成功をおさめたのである。立派な事業だったとスタッフのみなさんを心から賞賛したい。すごいことだ。

反省会の後は当然のことながら本当の打ち上げである。飲んで、食べて、語り合う。こうした場は久しぶりなので、少し嬉しかったが、やはり恐れていたとおり煙草の煙が立ちこめ始める。つらいなぁ。でも、まあ、滅多にない機会だからと思い直し、我慢しながら最後までおつきあい。(案の定。翌日は煙草で目が充血していた)

共演者の田中さんといろいろ世間話をできたのが楽しかった。音楽のプロはやはり偉い。今度はツイン・クラリネットでやりましょう、と言われ、武者震い。本番の時の田中さんのアコーディオンのさまざまな技を駆使した演奏を思い出したら、またどうしても一緒にやりたくなってきた。クラもすごいんだろうな。

公演当日のことはいま考えてもよく分からないのだが、言語化はしなければならない。私自身はいい演奏だったかどうかはともかく、必死だったことは確かである。毎度のことながらわけがわからず、感じるままに、悩みながらすごいスピードで思考と演奏を模索していく共演者とのやり取りが新鮮で楽しかった。でも、第1回目の1時間40分に続いてすぐに第2回目の1時間45分の公演だったから、さすがに疲れましたよ。

本当は二日間続けて4回公演をやりたかった〜、と堀川さんが感想を述べられたときは、さすがにのけぞりました。わたし、そんなに体力ありません。一日で全身筋肉痛ですもの。

基礎体力が今後の課題になりました。これが一番の反省点かもしれません。
posted by masa at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月31日

怒濤の3日間

3日連続のイベントも無事に終了した。怒濤の3日間だった。

10月26日(金)、千葉大学で日本ロシア文学会のプレシンジウム「生きのびるためのアートーーロシア美術の最前線」があり、私も「言葉と行為ーーパフォーマーたち」という題目で報告。モナストゥイルスキイ、タラーソフ、プリゴフを中心に彼らのパフォーマンスの内容と特徴を紹介した。お客さんは60名ほどだったが、200名収容できるホールだったので、ちょっと閑散とした感じがした。しかし、私の話を聞きたくてわざわざ千葉まで来てくれた人も数名いらしたので、この仕事はやってよかったと思う。打ち上げでは、一度お目にかかりたいと思っていたN氏とも知り合い、楽しい話で盛り上がった。

10月27日(土)、渋谷アップリンクで「ロシア・ジャズ再考」の第三回。今回はウラジーミル・レジツキイ特集だったから、ものすごく気合いを入れてのぞんだのだが、しかし、この日の渋谷は暴風雨のため、予約していたお客さんのほとんどがキャンセルとなり、予定の半分以下の22名の参加だった。あの悪天候のなかにやってきたお客さんはさすがに熱心な人々だった。現在私が中心になって進めているサントリー文化財団の助成による研究プロジェクト「現代ジャズ文化研究」の研究会の方にもぜひ参加したいという人が10名以上いた。研究会の今後が楽しみになってきた。それにしても、第2回のロシア・ジャズ再考の時も台風だった。第4回目は2月中旬を予定しているけれど、今度は大雪になるかもしれない。

10月28日(日)、大急ぎで新潟に戻り、午後3時からは西区DEアートへ行った。ディジュリドゥ、ビリンバウ、ジャンベ等の民族楽器を演奏する若手グループ「むーたらず」の主要メンバー3名、チャンチキその他を演奏する学生3名、飛び入りの女性2名という構成でチンドンを臨時結成したのだ。そしてアート会場である新潟大学近くの内野町内を演奏しながら練り歩いた。私の子どももノボリを持って一緒について町内を回り、コカリナを吹いてくれた。「とても楽しかった」と言ってくれたので、父親としてはやはりまあよかったかなと思っている。有り難う。

ほとんど全員が打楽器のため、メロディーは私のクラリネット1本に委ねられ、とにかく吹き続けることになった。移動中少しは休んだが、さすがに3時間続けての演奏はきつい。リードミスを頻発してしまい、恥ずかしかったが、気にしている暇はない。例によって「お富さん」「炭坑節」「恋の季節」「さんぽ」「ムーンライト伝説」等々、おなじみの曲の合間には演歌もしのばせた。参加者全員チンドン経験ゼロなのでプロのようにはいかないが、どこに行っても喜ばれ、リクエストを求められた。有り難うございます。終わったのは6時過ぎで、十分満足して私は子どもと家に帰ったのだが、むーたらずのメンバーはクロージング・レプション会場に残ってお酒をごちそうになる。後から聞いた話では、宴席で彼等は再び太鼓を叩きまくり、興奮した参加者全員が夜11時まで踊りまくったそうな。私も会場にいたかったなぁ。

移動も含め、準備に多くの時間を費やしてのぞんだ3日間だった。たいへんだったが、とても楽しい3日間が終わり、またも会議と締め切りと授業準備に追われる毎日へと再突入である。11月はほとんど毎日業務に追われる。楽あれば苦ありで、ちゃんと収支はとれているのだろうけれど、これから1ヶ月間ほとんど休日なしになるのは、ちょっと困りものだ。風邪だけはひかないように睡眠時間を確保しなくては。
posted by masa at 18:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

上古町

新潟に住むようになって3年が過ぎた。この10月で4年目に入った。とても長いような、と同時にとても短いような時間である。私はまだ新潟の身体に直接入ることはできていない。おそらく私はどこに行ってもそんなことはできはしないのだろう。いちばん長く暮らした埼玉県でさえ、そしてモスクワでさえ、今もって異郷である。新潟には、その表皮にようやく馴染んできたようだとしか今のところ言えない。

しかし、新潟は最初から不思議な肌触りで私をひきつけた。転居してからあわただしい日々が続き、ようやく落ち着いて新潟中心部を散策できたのは2005年の初めだったろうか。町の中を何の目的もなく、ただゆっくりと歩いた場所が上古町だった。どこにでもあるような古びた町並み。しかし、奇妙に幻惑される何かがある。懐かしく、くすぐったいような感覚。30年以上前に高田馬場近くの路地裏をたどった記憶が脳裏に浮かぶ。あそこにもこんな路地裏があった。線香や樟脳、野良犬や猫の匂い、軒下からこぼれる光、屋根の隙間から見える空の断片、かすかに聞こえる、あれは念仏、それとも謡い? 三味線のさわりの響き、裏庭の池で蛙のはねる音、梯子段のきしむ音、路上で子どもたちが遊ぶ声、単語帳をめくる音、クリーニング屋の窓からもれてくる一筋の蒸気。たくさんの、たくさんの、匂い、音、光、肌触り、そして舌触り。空気、空気、空気…。

上古町はまた稚内の中央商店街ともつながっていった。二つの空間がいつも私の意識の中で幾重にも重なる。そしてカムイト沼とサハリンがそれらに連なる。それらを舞台にした架空の物語がいつしか生まれ、上古町のそこかしこの空間に明滅するようになっていった。たくさんの物語、たくさんの生に満ち満ちて、町そのものが生き物のように呼吸している。

「かみふるブルース」というイベントに関わることになったとき、そんなさまざまな思いが先にあって、当日までかなり意気込んでいたようだ。ワタミチという空間がさらに意気込みをあおった。どうしたらいいんだろう。私は上古町になれるのだろうか。

「かみふるブルース」が始まってしまった。ええい、ままよ。もう、ほとんど何も考えていない。いや、考えているのだけれど、思考と身体が一致しない。こんなバラバラな状態はかえって喜ばしい。ズレをズレのままにしながらもっとズレていこうとすると、なんと堀川さんがフラメンコになっていく。「ワインと毒薬のクロニクル」を引きずっているとすぐに分かる。1991年のアルハンゲリスク・ジャズ祭で井上敬三さんがフラメンコを演奏した時のことが脳裏をよぎる。あの時はアルト・サックスだった。そこで、アルトに切り替えようとしたら、ちょうど運悪く、堀川さんがアルトのすぐ近に立ってしまったのでアルトを手に取ることが出来なくなってしまった。こんなことはよくあること。やはり、ええい、ままよである。結局アルトは吹かずじまいだったが、それはそれでよかったと思っている。

夜の上古町にブルースがあふれたかどうかは、お客さんたちの判断に委ねよう。私が今つよく思っているのはただひとつ。もう1回やりたい!である。こんな深夜に大きい音を出したら近所迷惑だよなぁ、とついつい考えてしまったのだ。これは最大の失敗だった。今度は迷わずに音を出さなければ…。

何はもあれ、好きな場所で演奏できたことには、ただただ感謝です。
posted by masa at 03:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月08日

なぜか大杉栄

Catriona Kelly の Petrushka, the Russian carnival puppet theatre を読み始めたら、ついついうとうとしてしまう。まだ夏の疲れがとれていない。英語だから眠くなるのかと思い、気をとり直して、梅原猛『日本の霊性ー越後・佐渡を歩く』を読み始めたら、なかなか面白く、親鸞と日蓮を続けて読みたい欲望にかられる。いやいや、せっかくの残り少ない夏休みだ、やっぱりロシア関係の本を読まなきゃ。

トロツキーの『ロシア革命史』は昔、途中まで読んで、息切れしてしまい、そのままになっている。こんなことではいかん、やっぱり完全制覇しなければと思いつつ、その隣で目に入った大杉栄評論集などをついつい読んでしまう。面白いなぁ。革命家と言うよりは、自由恋愛主義者や夫婦別姓論者としての大杉栄は憎めない。

大杉栄は新発田で少年時代を過ごしている。新発田の風土が大杉を育てたのだとしたら、そして海の向こうのロシアに少年大杉が目を向けていたのだとしたら…。そんなことをぼんやり考えているうちに、新発田に行きたくなってきた。

このところ、いろいろな縁を感じることが多い。その新発田に来週行くことになった。9月15日(13時ー)、大杉栄メモリアル2007という催しがあって、その第2部で堀川久子さんが踊るので、私も演奏で参加することになったのだ。

第1部は新発田市生涯学習センターで、池田博穂監督のドキュメンタリー映画「時代を撃て・多喜二」の上映と秋山祐徳太子の講演「閉塞を打ち破る泡沫の力」。第2部が新発田城址公園内にある「大杉栄のイチョウ」の木の下で堀川さんの舞踏「在ル」。大杉栄だけあって、すごく濃いプログラムだ。

吉田喜重の「エロス+虐殺」を見てから、新発田に行くことにしよう。
posted by masa at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。